私はこのシンプルな二分法を開放型・拘束型と名付けた。詳細はこうである。つまり、前者は構造は極めてシンプルにして使用法は多岐にわたる。人間が遊具を使う時、遊具が人間の動きを解放する。後者は構造が複雑であるが使用者は決まった動きしか取れない。設計者の意図しない動きを封じるため、遊具の構造を複雑にせねばならず、使用者の動きを束縛する。また構造が複雑であるということは製造工程が増え、価格は上がるはずである。前者であれば構造がシンプルなので価格も抑えられ、しかも効果は絶大である。
前者の代表例は鉄棒である。ぶら下がれる場所なしに背中の運動をしようとするとなかなか難しいが、単にぶら下がれる構造物を用意するだけで、様々なバリエーションの運動が可能になる。
後者は、例えば体をねじる遊具などであろう。公園めぐりを続けていると、単に体をねじるためだけの遊具が結構多い。このような遊具を目の前にして、何か他の用途は無いかと思案するのだが、前述の通りそもそもの設計思想からして利用者に決まった動きをさせるというものがあり、そのために想定する動き以外を封じ込めるための構造をしているため、多彩な使い方をすることは著しく困難なのである。
しかし体をひねる運動がしたければ広い場所で体操するなり、何かつかまれるものさえあれば手でつかんで体をひねることで完璧に目的が達成できる。前者に比べて存在意義が希薄であると言わざるをえない。存在してはならない、とまでは言わないが、必要性で言えば前者の方がはるかに高いにもかかわらず、現状、前者の数が圧倒的に不足している。
しかし例えば、ワインにはポリフェノールが入っているので体によい、酒は百薬の長であると言い張って四六時中浴びるほどワインを飲んでいる人がいたとしたらどうだろうか。あるいは、テレビゲームは確かに勉強にもなる、資源の最適な配分、瞬間的判断力、ITへの親しみ、だがやはりこれを根拠に勉強も運動も一切せずゲームのみをし続ける子供がいたとしたらどうだろうか。
私が言いたいのは拘束型遊具もあっていいがそれは開放型遊具が十分な量存在したうえでのことなのであって、まず基本を押さえたのち、基本からこぼれた部分をカバーしていくべきなのでは無いか、ということである。
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ワイドグリップ懸垂 |
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体をねじる遊具の例 |