2019年6月27日木曜日

新しくできた公園

小仙波八反田公園
今まで公園がなかった場所に新しい公園が出来ているのを見つけた。どうやら今年の三月頃に出来上がったようである。この公園のすぐ隣には火葬場があり、おそらくは地価下落対策のために作られたのであろうと思われる。公園内は芝生部分と遊具部分があるが、やはりというか鉄棒や平行棒といった気の利いた遊具は存在しない。内田工業株式会社のAF-1301があるが、これは案内板に書いてある内容からしてもぶら下がることのみを想定しているようである。この遊具で懸垂をしようとすると横桟に体が接触する。これは以前にも書いた中村製作所のFIT-04日都産業のHH-07と同じである。
懸垂を試みると最下段横桟に接触する

背にして懸垂をしようとすると頭や背中に接触する
ただし、懸垂をするためのより良い設備がある。四阿である。四阿の梁にはH形鋼が使われていて、丸棒を握るのとはまた違った感触が楽しめる。
四阿の梁で快適な懸垂ができる
また大変に惜しいのは、公園のすぐ隣に火葬場を糾弾するような看板があるのだが、この看板を固定するための単菅パイプの一部に板が張られていない部分があり、この中間部分の二本を取り去れば誠に懸垂しやすい状態になるはずである。
NIMBYを象徴するかのような看板
中間の二本がなければ懸垂にうってつけなのだが
もうひとつ、この公園の滑り台は、手すりに水平な部分がないので他の公園にある滑り台のようにディップスができない。手すりに限らず大型滑り台は大変歯がゆい構造をしていることが多い。
ディップスが不可能な形状

2019年5月4日土曜日

竹に雨、遊具に懸垂

伸びてきたタケノコ
初雁公園のHM-01のすぐ隣に竹林があり、懸垂をしていると常に視界の隅に竹がある。そしていつの間にかその竹林の中でタケノコが伸び出している。そのタケノコを見てはたと気づいた。雨後の筍という言葉があるが、これは竹の成長にとってというものが重要な役割を果たしているということに他ならない。そしてなぜ今懸垂のための遊具が滅びの危機に瀕しているかといえば、竹にとっての雨のような存在が無かったか、あったとしても足りなかったからである。
では懸垂のための遊具にとって、竹のための雨に当たるような存在とはなんだろうか。言うまでもなくそれは懸垂である。現状、私の見た限りではHM-01で懸垂運動を行っている人は、0ではないが少ない。市内に懸垂できる場所が一箇所しかないにもかかわらず、人口に比べ圧倒的に少ない。本来なら土日は遊具に行列ができてもおかしくはないはずだ。
なぜなのか。みんな懸垂に興味がないということではないはずだ。市内にはフィットネスジムの数が増加しているし、それは運動に関心を持つ人が増えているという証拠でもある。大抵のジムではラットプルダウンマシンが人気である。老若男女、初心者から実力者までラットプルダウンマシンを実によく使う。ラットプルダウンマシンとは懸垂と同じ動きを、ワイヤーの付いた棒を引くことで行うことができるマシンである。つまり背中の運動というものに、みんな興味を抱いている、かなりの需要があるということなのだ。
ではなぜHM-01の利用者が少ないのか。私が思うに、この原因はただ単に知名度がないからというだけのことである。みんなこの公園この遊具について知らないのだ。知らないということは存在しないのと一緒だ。なぜ知らないのか。知る術がないからだ。
例えば市内の誰かが公園で懸垂をしようと思い立ったとする。しかしどの公園にも必ず鉄棒やら雲梯やら平行棒やらが設置してあるような状況ならいざ知らず、近所の公園に低鉄棒があればかなり幸運なほうで、単なるベンチがあるだけの空き地という公園も多い中、どうやって懸垂したらいいのだろうか。本当に存在するのかどうかもわからない懸垂遊具を、まず探すところから始めなければならない。
では公園や遊具に関する情報をどのように探したらいいだろうか。ネットを利用してとなると、市役所のサイトかGoogleマップを使うことになるだろう。しかしこと懸垂可能な公園を探すとなると、市役所のサイトは全くもって不完全であり、せいぜい公園リストの入手程度の意味合いしかない。このリストを元に当たりが入っているかどうかさえ判然としないくじを延々と引いていくことになる。Googleマップは航空写真とストリートビューを活用することで、公園巡りをかなり省力化できる。しかしGoogleマップも完璧ではないので、樹木によって遮られるなど必ずしも敷地内が明瞭に確認できるとは限らないし、車両が入れないような場所にある公園はストリートビューが使用不能である。またGoogleマップに載っていない公園もある。
つまり、人のせいにはしたくないが、初雁公園のHM-01があまり人に知られていない原因は、この遊具に関する情報が、市役所のサイトに載っていないということも大きい。市内において唯一無二の、完璧な懸垂ができる遊具であるにもかかわらず、市役所のサイトでこの素晴らしい遊具の存在を知ることは不可能なのだ。これがもし図書館と書籍ということであれば、図書館のサイトかあるいは図書館に置いてある検索用端末で詳細な検索をすることが可能である。どのようなジャンルで著者は誰でどのような内容の本なのか、その本が市内のどこの図書館に置いてあるのかあるいは置いていないのか、貸し出し中なのか、貸し出し可能なのか、開架に置いてあるのか、閉架に埋もれているのか。
公園も遊具も税金が使われているのは図書館の本と同じであるのだし、乾燥地帯に竹を植えるような真似はやめて、もっとわかりやすくすべきだし、市にはそうする責任がある。懸垂せんとする者たちに遊具の存在を教えれば、懸垂遊具は雨後の筍のように増えていくはずである。

2019年5月3日金曜日

鉄棒は危険か

川越水上公園にあるHH-06について書いた記事で、ガードパイプがついた状態の方が危険なのではないか、と書いた。しかしよくよく考えてみるにつけ、例えばHH-06からガードパイプを取り去り、スプリング経由ではなく支柱に鉄棒をガッチリ固定し、完璧な鉄棒を作ったとして、その鉄棒は危険ではないのかと問われると、私もこれを危険ではないと言うことは必ずしもできない。鉄棒運動において考えうる最悪の事態は、鉄棒からの落下による死亡事故である。つまり鉄棒運動は、HH-06の設計者の考えるとおり、危険なのだ。これは真実であろう。
だがそれでも腑に落ちない点はある。鉄棒以外の遊具はどうなのかと。例えば以前も書いたようにHM-01の攀登棒でクラッチフラッグを行った際に上腕の内側が内出血したとか、HM-01のバランス台部分をプッシュアップバー代わりにしたら汗で滑って胸を打ち付け肋骨にヒビが入ったか折れたかしたとか、HM-01の雲梯部分で懸垂をした際にボトムポジションで無意識に肘関節をロックアウトしていたせいで関節に負荷が移り肘に痛みが残ったとか、マッスルアップをしていたら左手第5中手骨のあたりが痛くなったとか、前腕を疲れさせた後吊り輪でスキンザキャットをしているとうっかり手を滑らせて頭から落ちた時のことを想像してしまって恐怖を感じるとか、ブランコの柵につかまってエルボーレバーをすると頭の側に傾いた時にやはり恐怖を感じるとか、いちいち挙げればきりがないが、鉄棒は危険であり鉄棒以外は安全であるなどとは言えない。
いや遊具だけではない。川越水上公園に行くために自動車や自転車を使って移動するのだとすると、交通事故を起こして死ぬか、あるいは誰かを殺してしまうかもしれない。これを避けるために徒歩で移動したとしても、やはり歩行中誰かにぶつかって転倒し自分が死ぬか相手を転倒させて殺すかしてしまうかもしれない。では人に会わないよう自宅に引きこもればいいのかというと、地震や落雷や火事があるかもしれないし、家から出なければ食料の調達もままならず、いやそもそも仕事しに行けないから収入もなくなるであろう。また川越水上公園はその名のとおり大規模なプールがあり、濡れたプールサイドで走ったため転んで怪我する危険もあれば、水泳には必ずつきまとう溺死の危険というものもある。
つまり本当に問われなければならないのは、鉄棒運動は危険か、ではなく、世の中にあまたある危険の中でなぜ鉄棒運動の危険だけが取りざたされなければならないのか、という問題だったのである。
そして遊具というものが語られる際ことさら鉄棒運動の危険性のみが槍玉に挙げられているのだとしたら、HM-01を使った感想の記事で少し触れた、私が感じた設計者の鉄棒に対する忌避の念というものも、単なる被害妄想ではなくそれなりの現実性を帯びてくるのである。

2019年5月2日木曜日

川越水上公園にあるHH-06

川越水上公園の遊具

川越水上公園の一画に日都産業の遊具が並べて設置されている場所がある。8種類あるが、程度の差こそあれ、どれも私が以前考えた分類法に従えば、拘束型に入る遊具ばかりである。つまり目的が限定され、設計者の意図しない動作を封じるため構造が複雑化した遊具である。中でもツイストボードスプリングバーは鉄棒として使えそうで使えない、隔靴掻痒を形にしたような遊具である。
HH-06 スプリングバー

説明板
スプリングバーの説明を読むと、ぶら下がりや懸垂運動に使うことが意図されているようなのだが、問題はその後にある「スプリングが飛びついた時のショックを和らげる」という記述である。スプリングバーの高さは180cmと、たいていの人なら飛びつかずにつかめる高さであるが、そんなことよりも重要なのは、飛びついた時にショックを和らげなければならないような状態にある人は、そもそもバーに飛びついてはならないし、ましてぶら下がりや懸垂などもってのほかであって、そのような人に必要なのは治療やリハビリである。そこまでいかなくともまだ体力が不足している人などは、斜め懸垂のボトムポジションでひたすら耐えるような、足をついたぶら下がりで前腕や肩を鍛えたほうがいい。このやり方なら体の角度や足を置く位置で負荷を調節することもできる。幸い8つの遊具の中の足ツボウォークの手すりが低鉄棒として使用可能な形状にある。

手すりを低鉄棒として使用する
そしてさらに公式サイトの商品解説ページを見た時、衝撃的な文言が目に飛び込んできた。以下に引用する。
支柱とバーの間をスプリングで連結し、とびついた時の衝撃をやわらげる新発想の懸垂器具です。 ぶら下がり運動をソフトな運動感覚で行え、また鉄棒運動を防止するためのガードパイプを付けた安全設計です。
つまりこの遊具の設計者の言い分では、鉄棒運動とは危険であり、そして危険な鉄棒運動を防止すれば安全な設計である、ということらしい。念のため付け加えておくと、この遊具は大人用を前提として設計されていて、実際に遊具本体に大人用と書いたシールが貼られている。つまりより正確には、公園内で大人が大人用遊具による鉄棒運動をするのは危険である、というのがこの遊具の設計者の言いたいことだということになる。

大人用と書かれたステッカー

実際にこの遊具で鉄棒運動を試したところ、いわゆるガードパイプの部分にぶつからないよううまく足の角度を調節しつつ足を地につかない逆上がりをくるくると数回ほど回った感想としては、ガードパイプはない方が安全であると感じた。
ガードパイプにぶつからぬよううまく脚を上げていく
そして回転する

つまり実際にはガードパイプでは鉄棒運動を防止しきれず、また鉄棒運動そのものが危険であるというよりガードパイプがついた状態で行う鉄棒運動のほうが危険になっている。物理的に行えないのではなく、行うと危険なのでなるべく諦めるよう誘導する構造というのは、例えるなら川に落ちたら危険なので人が近づかぬよう河原に地雷を設置する、というような行いとなんら変わらないのではないか。
あるいはスプリング機能を付加したので、 スプリングのしなりが鉄棒運動の障害になり危険なのだ、という反論があるかもしれない。しかし前述の通りこのスプリングそのものの存在意義が希薄なのであり、ぶら下がり時にしなりを楽しみたいのであれば、初雁公園にあるようなターザンロープ系遊具にぶら下がるか、樹の枝にぶら下がればよい。水上公園は敷地面積が広く樹木も多いので、ぶら下がり心地のよさそうな樹を探すだけでもいい運動になりそうである。
このような遊具を見るにつけ、拘束型遊具はその利用者の動きのみならず、思考までをも拘束していく、そんな風に思えてならない。

2019年5月1日水曜日

マッスルアップの別名

ポール・ウェイドがコンヴィクト・コンディショニングの中でマッスルアップの事をセントリー・プルアップ Sentry Pull Up という名で呼んでいた。Sentry を辞書で引いてみると、歩哨、見張り番などと出ている。"Sentry Pull Up" で検索してもポール・ウェイド関係の記事しか出てこないので、今はもう使われなくなった古風な呼び名ということなのだろうが、私はこの別名が好きである。
マッスルアップという名前はなんとなく筋力のみで上がるストリクトな種目のような響きがあるが、実際は私のような初心者ほど慣性に頼っているし、YouTubeの動画を見ていても慣性を排した筋力のみのマッスルアップはかなりの達人でないと不可能なひとつの到達点であるように思える。またマッスルアップという単語を知らない人が見ると、筋肉量が増えたかのような誤解を持つのではないか。セントリー・プルアップなら少なくとも懸垂の一種であることはわかる。
そしてなにより見張りという言葉の響きである。私はキリスト者ではないので聖書の話をするのは気がひけるが、聖書の中では見張り人という言葉が一種象徴的な意味合いを持つ。つまりこれはどのような意味かといえば、見張り人は共同体になんらかの危機が迫った時、角笛を吹いてこれをみんなに知らせなければならない重要な役割がある。英語版聖書では見張り人は Watchmen なので Sentry とは全く別の単語なのだが、日本語で言えばどちらも見張りなのであり、公園と遊具に迫る危機に立ち向かわなければならないという私の境遇とつい重ね合わせて見てしまう。
思うにコンヴィクト・コンディショニングの読者や信奉者であれば、マッスルアップをセントリー・プルアップと言い換えてこの呼び名の復権を目指してもよいのではないかと思う。

公園の猫

公園で運動していると、猫が現れる時がある。やたらと見かける日もあれば、一切見かけない日もある。今日見かけた猫は私のかなり近くを平気でスタスタ歩いていたので、かなり人に慣れているか、もしかしてどこかで飼われている猫なのかもしれない。

白と黒の二毛猫

猫はやがていずこかへと去っていった
猫や鳥、様々な虫を見ながら運動することができるのも、公園の持つ大きな魅力であると思う。いや動物だけではなく、植物、天候や気候の変化などもそうである。運動しようとする者にとって、公園とは都市に走る鉱脈である。採掘して活用しない手はない。だが今はまだ誰もその価値に気づかず、時を待ちながら眠り続けている。

2019年4月29日月曜日

クラッチフラッグ所感

フラッグは大変素晴らしい運動であると思う。私もかつてポリタンクでサイドベントをしていた時期があった。フラッグならサイドベントよりも多くの筋肉を同時に鍛錬でき、しかも楽しい。
ただ現時点ではまだ若干の課題が残っていて、左側を上にする時、フォームの問題か左手のグリップが歪み、しっかりとホールドすることができないのだが、これは練習によって徐々に解決できるであろう。
それよりもクラッチフラッグの難点は、私だけかもしれないが上腕の内側が内出血することで、長袖を着ていても皮膚がかなり恐ろしい色合いになっていることがある。これは掴まる棒の太さのせいかもしれない。掴まる棒が細ければ腕に当たる面積も狭くなり、腕と棒が接触する面にかかる力も増えるため、皮膚の表面に負担がかかって内出血を起こすのだろう。
道を歩いていると道路標識の支柱が大変つかまりやすそうな太さに感じる。HM-01の登攀棒よりも太く、雲梯の支柱よりも細い。しかも数は多いし、公共の場所ではぶら下がれるものがほぼ見られないのと比べると、対照的である。
フラッグは楽しい