2019年4月29日月曜日

クラッチフラッグ所感

フラッグは大変素晴らしい運動であると思う。私もかつてポリタンクでサイドベントをしていた時期があった。フラッグならサイドベントよりも多くの筋肉を同時に鍛錬でき、しかも楽しい。
ただ現時点ではまだ若干の課題が残っていて、左側を上にする時、フォームの問題か左手のグリップが歪み、しっかりとホールドすることができないのだが、これは練習によって徐々に解決できるであろう。
それよりもクラッチフラッグの難点は、私だけかもしれないが上腕の内側が内出血することで、長袖を着ていても皮膚がかなり恐ろしい色合いになっていることがある。これは掴まる棒の太さのせいかもしれない。掴まる棒が細ければ腕に当たる面積も狭くなり、腕と棒が接触する面にかかる力も増えるため、皮膚の表面に負担がかかって内出血を起こすのだろう。
道を歩いていると道路標識の支柱が大変つかまりやすそうな太さに感じる。HM-01の登攀棒よりも太く、雲梯の支柱よりも細い。しかも数は多いし、公共の場所ではぶら下がれるものがほぼ見られないのと比べると、対照的である。
フラッグは楽しい

2019年4月28日日曜日

内なる声に従う

初めてマッスルアップに成功したと書いたが、やはり今なぜこのタイミングで成功したのか、その意味を考えあぐねていた。初雁公園は何を言おうとしているのだろうか。
全くの別件で八幡神社に行ったので、神社の人に疑問をぶつけた。もし神の啓示を受けた場合、人間はこれをどう解釈すればよいのかと。「心当たりがあるのか」と言われ、私ははい、とだけ答えた。すると「自分の心に照らし合わせて解釈すべきだ」という答えをいただいた。つまり仏教で言えば法と自己を拠り所にせよという言葉がありますが、そういうことでしょうか、と聞くと、「そうだ、それと似ている」と言われた。
だとすれば私は自己の内なる声に耳を傾けなければならない。あの公園と遊具のために動けるのは私一人であり、私を動かすために公園と遊具があの時バーの上まで私を導いたのだとしたら、そう思えてならない。私こそがあの公園と遊具のために動かなければならない。私がここにいます、私を遣わせてください、これが私の内なる声である。

閉鎖的な公園

以前、公園とは万人に開かれた存在であると書いたことがあった。しかし数ある公園の中には閉鎖的な雰囲気を持つものもある。本川越駅と喜多院のほぼ中間に位置する、通町公園がそうだ。
通町公園
東側の出入り口は常に施錠されている
北側の出入り口は施錠されていないが、常に閉まっている
公園内部から見た北側出入り口
中はかなり広く感じる
南側にはボール飛び出し防止用らしきネットが張られている
中に入ると鉄棒、ブランコ、滑り台、砂場などの遊具が設置されてなおかなり広く感じられる。だが出入り口が閉じられ、南側には高いネットが張られ、かなりの閉塞感がある。北側の扉は内側のみに開く構造になっているようで、おそらく外側に開けようとしたためであろう、扉や蝶番に歪みが生じている。普段は全く意識しない出入り口によってこうも印象が変わるものなのかという思いがする。広さが逆に間延びしたような印象を与え、出入り口の物々しさと相まってまるで監獄のような雰囲気である。なぜここまで排他的な公園になったのか、詳細は定かでは無いが、周辺が密集した住宅街でしかも商業地域が近いといことに原因がありそうである。こうまで排他的な公園を目の当たりにしてしまうと、果たして公園というものが本当に住民に求められているのかどうかという疑問まで浮かんできてしまう。だが、同じような条件の公園が必ずしもここまで排他的では無いのだし、特殊な例と捉えておくべきなのだろう。

2019年4月27日土曜日

マッスルアップについて

長い間行っていなかったマッスルアップの挑戦だが、本日久々に試したところ、思いの外あっけなくできてしまった。
マッスルアップ運動とは、懸垂とディップスを融合させた、引く力と押す力の両方を鍛錬することができる運動である。懸垂の高さよりさらに高く体を引き上げ胸をバーに乗せ、そこからストレートバーディップスで腕を伸ばしきる。ディップスの部分は簡単だが、胸をバーより上にあげるのが一苦労なのである。
マッスルアップについては数年前からたびたび挑戦し続けていたものの、今日まで一切成功することはなかった。なぜ今更挑戦する気になったのだろうか、それは自分でもわからないが、例えば懸垂ができない場合という記事を書いたり、あるいは平成という時代の終わりであり、そして近い将来初雁公園の死を見とらなければならないという心境が無意識に作用したのかもしれない。
マッスルアップについてはあれこれ言えるほどの経験が無いが、今まで試したマッスルアップのやり方と今回のそれとの違いがひとつだけあり、それは最初から肘を曲げていたという点である。懸垂のように腕を伸ばしたところから始めるのではなく、肘を曲げたままバーに飛びつくのだ。こうすることで懸垂パートを大幅にショートカットできる。腕を伸ばしたところから始めると腕を引き付ける動作と腕を回転させる動作を同時に行う必要があるが、最初から肘を曲げておくことで前者を省略でき腕を回転させることのみに注力できるのである。
ヒントになったのはポール・ウェイドのコンヴィクト・コンディショニングである。フルレンジの懸垂の一段階前にハーフ懸垂という種目があるが、これはすべての距離を移動するより半分の距離を移動する方が負荷が少なことを利用し、トップポジションから半分だけ降ろし、またトップポジションへと上がる、という動作を取ることで負荷を調節している。移動距離を半減させて負荷を下げるという考え方は同書のいたる所に見られる、様々な種目に転用可能な普遍的考えであり、これはマッスルアップにも使用できるだろうと考えたわけだ。そしてその読みは当たった。
マッスルアップに成功したのは私の力ではない。上記書籍と公園のおかげである。いや、もっといえばこれは死にゆく公園と遊具が私に託した形見のようなものではないだろうか。そうとしか考えられない。私は三芳野神社と初雁公園は両方セットになった宗教施設だと考えている。三芳野神社は学問の神を祀っているが、マッスルアップの成功は書籍を読んだことでもたらされたものだ。これが偶然だとは考えられない。
ついに成功したマッスルアップ

2019年4月26日金曜日

懸垂が1回もできない時に行いたい運動

懸垂が一回もできない人でも、心配はいらない。懸垂以外の方法で懸垂に使うための筋肉を疲れさせれば、徐々に筋肉が成長し、やがて懸垂ができるようになるからだ。ここでは例として五つの種目を紹介したい。
ひとつめはバーティカルプルだ。これはポール・ウェイドの著書コンヴィクト・コンディショニング(邦題: プリズナートレーニング)の懸垂の部で紹介されている運動で、斜め懸垂からさらに負荷を減らしたものとも言える。何かしっかりつかまれるものを探し、なるべく近づいて掴まったら体を背中側に傾け、なるべく背中の筋肉を使って元に戻る。
何かにしっかりつかまる

体を傾け、また戻る

ふたつめは斜め懸垂である。斜め懸垂は同じく書籍コンヴィクト・コンディショニングで懸垂の部第二段階目として位置付けられている。斜め懸垂は別名が多く、ホリゾンタルプルであるとかオーストラリアンプルアップであるとかインバーテッドロウであるとか様々な名前で呼ばれているが、それほどメジャーな種目だということなのだろう。よく小型の公園にある120cmと90cmの二種類の高さがセットになった低鉄棒が使いやすいが、初雁公園にはそれがないので、下記の画像では平行棒の支柱を使用している。

負荷は角度で調節できる

肩甲骨を意識しつつ動く
3番目は、ぶら下がりである。慣れないうちは懸垂に使う筋肉より先に握力が尽きてくる時がある。慣れていても雨の日などは濡れた遊具にぶら下がるためにかなり前腕の力が消費される。なお、ぶら下がる時は肩を痛めないよう、最新の注意を払わなければならない。ぶら下がりについては書籍コンヴィクト・コンディショニングの続編コンヴィクト・コンディショニング・2(邦題: プリズナートレーニング 超絶!! グリップ&関節編)で詳細に解説されている。
ぶら下がってひたすら耐える

4番目はフレックスハングである。ぶら下がりと同じくらいシンプルな運動で、ジャンプして懸垂のトップポジションに入り、そのままひたすら耐えるという運動だ。肘を完全に曲げきった状態でさらに曲げる方向に重さが入ると肘を痛めるので、そうならないよう注意したい。懸垂のトップポジションに入ったら、同時に膝を折りたたみニーレイズの姿勢をとると、これはダンゴムシ運動と呼ばれ、逆上がりの前段階として練習に取り入れられているとのことである。だがダンゴムシ状態も、かなりきつい。
この状態でひたすら耐える

ダンゴムシ運動

5番目はネガティブ懸垂である。ネガティブ運動とは、どのような手段でもいいのでまずトップポジションに入り、できるだけゆっくりボトムポジションへと移行する運動である。つまりジャンプして懸垂のトップポジションに入り、できるだけゆっくり体を下ろし、ぶら下がり状態へ移行する。ゆっくりやるほどきつくなる運動である。快適に懸垂できる高さの鉄棒よりもやや低い、だいたい自分の身長ぐらいの高さの鉄棒がやりやすい。
できるだけゆっくり下がる

こうしてざっと見ていると偶然だろうが、行って戻る系2種、ひたすら耐える系2種、そして両者の中間のような耐えながら戻る系1種に分類できる。これら五種目は懸垂ができるようになってもたびたび立ち返る、優秀な鍛錬法であると思う。そしてこれらは高高度鉄棒を含む様々な高さの鉄棒があればとてもやりやすい。懸垂ができる人間が少ないから鉄棒はいらない、と言う人がいれば、鉄棒が無いからこそ懸垂ができる人間が少ないのだ、と言いたい。

川越運動公園にある滑り台で懸垂とディップスをする

川越運動公園にあるHH-07は、懸垂運動をするには大きな問題を抱えている、ということを書いた。だが同公園内で懸垂をしようとする場合、HH-07を使用する以外にもいくつか方法はある。ひとつめは樹の枝を使って懸垂すること、もうひとつは滑り台を使うことだ。
大型の滑り台
この大型の滑り台の鉄柵につかまり、ぶら下がるのである。緑の部分の高さがちょうどいい。手首に床の側面が当たるが、懸垂は快適そのもの。

ここにぶら下がる


非常に懸垂しやすい

グリップをやや広くする

グリップをさらに広くしたところ
 等間隔で縦の柵があり、持つ場所でグリップの幅をデジタルに変更できるのは面白い。またHM-01の時にも書いたが、階段の手すりの幅がHH-07よりもやや狭く、ディップスにちょうどいい。
ディップスがやりやすい
もちろん階段は本来通り道なので、他の利用者がいた場合は慎重に配慮しなければならない。ただ、そもそも「運動公園」の懸垂用遊具が少なからぬ問題をかかえ、同公園内での快適な懸垂が樹木の枝や子供用滑り台によってもたらされているという事実こそが、まず第一に考えなければならない問題なのではないか。複雑な構造を持ち用途の限定された高価な遊具をやめれば、その分の予算がシンプルな遊具の数を増やしたり、既存遊具の点検、修理などに充てられるのではないだろうか。
かなり前から破れたままのネット遊具

川越運動公園にある日都産業のHH-07

「懸垂器具」と書かれている

川越運動公園に日都産業のHH-07がある。公式サイトの写真とはカラリングや細部が異なるが、基本的には同じものだと思われる。この遊具は他にも四都野台公園で見かけたことがある。遊具に貼られたピクトグラムにはぶら下がりとエルシットをしているところが描かれている。

日都産業製HH-07

HH--07に貼られたピクトグラム
ピクトグラムでは右の人物が遊具に向かってぶら下がっているのか、遊具を背にしているのかは判然としない。日都産業公式サイトの写真では遊具を背にしてぶら下がっている。
遊具に向かってぶら下がったところ

遊具を背にしてぶら下がったところ
まずぶら下がってみると、幅がほぼ肩幅までしかなく、この幅の範囲内までしか手幅の自由が利かず大変息苦しい。またぶら下がった時に真正面あるいは背後に常に存在する支柱が圧迫感を与え続ける。次に懸垂を行うと、案の定脚を伸ばしたままだとつま先が接触する。膝関節を曲げて大腿を伸ばしきったまま上がると、膝が付くか付かないかぐらいで、ギリギリだが稀に接触することがある。背中を向けて懸垂すると確実に後頭部が接触する。今までにも何回か書いたが、人間が懸垂運動を行う時、肉体は地面に対して垂直にはならず、若干の傾きが発生する。この遊具もこの点を理解していなかったか、意図的に無視したかのどちらかで、結果的に懸垂運動のための遊具であるにもかかわらず懸垂を困難にしている。本来、懸垂への障害は筋力不足と筋肉疲労のみであるべきであり、器具の不備であってはならないはずだ。
脚を伸ばしているとつま先が接触する

腿は伸ばしきり膝を曲げておくとすれすれ、稀に接触

背を向けて上がると頭が当たる
なお平行棒はそこそこ使えるが、定員は一名だろう。普通の平行棒なら向かい合わせになって二人同時にディップス勝負をすることも可能である。棒の幅はHM-01の斜平行棒と同じぐらいに感じる。
幅はもう少し狭い方がいいが

普通にディップス

中村製作所のFIT-04と同じく、複数の遊具を合成しようとしたところ、満足に使用できなくなってしまった遊具のひとつである。しかも一本の鉄の棒を相当な箇所曲げて作られていて、複雑な形状をしている。平行棒と鉄棒はどちらもまっすぐな棒のみで作れる。それをあえて複雑な構造にしているうえに、その構造が機能に寄与しているどころか、通常の使用さえもが困難な形状になっている。運動公園という名の公園にある遊具でさえ、こうなのである。
川越運動公園はかなり広大な面積の敷地を持つ。ここからさらに遊具を追加し、各種高度の鉄棒、平行棒、雲梯、肋木を設置する余地は十分に存在する。もしそれが実現できれば、全ての年齢の人間の全ての筋肉をカバーできることだろう。

雨の公園

雨の日の初雁公園
公園で運動することの欠点として、天候をあげる人がいる。しかし私は必ずしも天候の影響を受けることがデメリットになるとは思わない。台風なら別だがちょっとした雨ぐらいなら十分運動は可能であり、しかも晴天の日よりも人が少ない。ほぼ貸切状態である。もちろん芋の子を洗うような状態の公園も悪くない。だが無人の公園で雨の音を聞きながら運動するのは荘厳な趣がある。また濡れている遊具に掴まるためには乾いている時よりも握力が必要で、前腕にかかる負荷が増えるのもなかなかいい。
雨の中のブランコ
ただし、雨による滑りにも限度というものがあり、握るための遊具が水平から縦に近くなると、保持するのが困難になってくる。ブランコの支柱での懸垂は、条件が揃えばそれなりなのだが、真冬で手のひらが完全に乾燥している時や、逆に雨の日で濡れているような時は、手が滑ってしまってほぼ不可能である。ブランコは非常に数が多い遊具で、懸垂に使用できれば嬉しいのだが、なかなか難しいところだ。

2019年4月25日木曜日

公園と遊具に対する固定観念

私が初雁公園にあるHM-01の雲梯部分にぶら下がり、体を左右に揺らしていた時のことである。近くを親子が通りかかり、その幼子が「鉄棒じゃないのにぶらぶらしてるよ」と母親に言った。母親は何も言い返さずに、幼子を連れ足早に立ち去っていったのである。
私はその言葉を聞いて、ぶら下がりながら不意に自分がその幼子と同じくらいの年齢だった頃のことを思い出した。小学一年生の頃、学校の算数のテストで、式と正しい答えを線で結べという問題があった。私は式と答えを正弦波のような波打った曲線で結んだところ、教師に呼び出され泣くまで怒られ自分の書いた曲線を消しゴムで消して書き直しをさせられた、ということがあった。今思えば直線で結べと書かれていない問題に対して曲線で結んで何が悪いのか、いや厳密に考えれば鉛筆で書いた線は線のように見えるが面積を持つ面である、とかいろいろ考えるが、怒った教師の考えもわからなくはない。公教育の目的は国民を作り出すことにあるのであり、直線で書けと言われなかったから曲線で書いたなどという反抗的な子供は何としてでも矯正しなければならないのだと。
今もやはり子供ならそのような状況で生活しているはずで、だからこそ鉄棒にぶら下がって揺れるのは正しいが雲梯でそうするのはおかしいのではないかと考え、「鉄棒じゃないのにぶらぶらしている」という疑問を母に投げかけるに至ったのであろう。
そして大人とされる多くの人々も、未だに公園と遊具に対する固定観念があることは確かであり、だからこそ懸垂可能な遊具が絶滅の危機に瀕しているのである。
あまつさえ公園で運動せんとする人々の間にさえ、まだまだ誤解や偏見が残存しているのではないかと思われる節があるのは問題である。Googleで検索していると、公園で運動するのは恥ずかしい、不審者扱いされる、警察に通報される、などといった話がまさに公園で運動する人々自身から発せられているのは驚きだが、そんなものは単なる被害妄想である。そもそも通報自体は誰でもできるのであって、変な人「を」通報する、ということもあるだろうが、変な人「が」通報する、ということも十分あるだろう。そんなくだらないことを考える暇があったら、いかにして自分の体を持ち上げるのかを考えたほうが有益である。
ポール・ウェイド曰く、ぶら下がりこそ最も優秀な前腕鍛錬法である

東田町第二公園にある中村製作所のFIT-06Aについて

FIT-04の使用感を述べた記事で少し触れたが、FIT-04のすぐ隣にFIT-06Aが設置されている。以下の二枚がその写真である。
土足禁止の文字が刻まれている

全体的に土が乘っている
この二枚の画像を見れば、私が何を言いたいのかわかってもらえるはずだ。まず、何らかの建物の中にある公園というものを聞いたことがない、つまり公園であるとは屋外であるという事と等しい。次に舗装されている公園もなくはないが、公園の地面は大抵土が露出している。雨も降れば風も吹く。そして実際この公園は屋外にあり、地面は土である。そんな場所に土足禁止地帯を作ってどうしようというのであろうか。これらの画像に現在の公園が置かれている一種歪な状況が、端的に集約されているように感じられる。この遊具を見ると、自分の頭が狂ってしまったのではないかと思うことがある。土足禁止とは本来土や汚れが付いていない、汚してはいけない場所のことではなかったのだろうかと。これは遊具ではなく土禁とは何かを社会に問いかける芸術作品であるとでも言いたいのだろうか。「素足になってごらんよ……」と書いてあれば話は別だ。靴を履いたままでも楽しいが、靴を脱げばなお楽しい。泥まみれになったところで、家に帰って洗えばいいじゃないか、公園とは本来そんな場所のはずだ。このような状態が生み出されてしまうということ、それは遊具や運動について真剣に考えてこなかった我々利用者側の責任でもあるはずだ。

2019年4月24日水曜日

使用者としての遊具の分類:開放型と拘束型

ひとくちに公園の遊具の分類と言っても様々なやり方があると思うし、現に遊具メーカーの製品一覧ページなどを見ていても様々に分類されている。しかし私がここで主張したいことはこうした作る側の分類ではなく、使用者としての分類であって、遊具は構造と機能に由来する使用者の動きによって大きく二分割できるのではないかということである。
私はこのシンプルな二分法を開放型・拘束型と名付けた。詳細はこうである。つまり、前者は構造は極めてシンプルにして使用法は多岐にわたる。人間が遊具を使う時、遊具が人間の動きを解放する。後者は構造が複雑であるが使用者は決まった動きしか取れない。設計者の意図しない動きを封じるため、遊具の構造を複雑にせねばならず、使用者の動きを束縛する。また構造が複雑であるということは製造工程が増え、価格は上がるはずである。前者であれば構造がシンプルなので価格も抑えられ、しかも効果は絶大である。
前者の代表例は鉄棒である。ぶら下がれる場所なしに背中の運動をしようとするとなかなか難しいが、単にぶら下がれる構造物を用意するだけで、様々なバリエーションの運動が可能になる。
後者は、例えば体をねじる遊具などであろう。公園めぐりを続けていると、単に体をねじるためだけの遊具が結構多い。このような遊具を目の前にして、何か他の用途は無いかと思案するのだが、前述の通りそもそもの設計思想からして利用者に決まった動きをさせるというものがあり、そのために想定する動き以外を封じ込めるための構造をしているため、多彩な使い方をすることは著しく困難なのである。
しかし体をひねる運動がしたければ広い場所で体操するなり、何かつかまれるものさえあれば手でつかんで体をひねることで完璧に目的が達成できる。前者に比べて存在意義が希薄であると言わざるをえない。存在してはならない、とまでは言わないが、必要性で言えば前者の方がはるかに高いにもかかわらず、現状、前者の数が圧倒的に不足している。
しかし例えば、ワインにはポリフェノールが入っているので体によい、酒は百薬の長であると言い張って四六時中浴びるほどワインを飲んでいる人がいたとしたらどうだろうか。あるいは、テレビゲームは確かに勉強にもなる、資源の最適な配分、瞬間的判断力、ITへの親しみ、だがやはりこれを根拠に勉強も運動も一切せずゲームのみをし続ける子供がいたとしたらどうだろうか。
私が言いたいのは拘束型遊具もあっていいがそれは開放型遊具が十分な量存在したうえでのことなのであって、まず基本を押さえたのち、基本からこぼれた部分をカバーしていくべきなのでは無いか、ということである。
ワイドグリップ懸垂

体をねじる遊具の例

公立学校の鉄棒が使えないか市役所に聞いた

以前の記事で悲観的なことを書いた。だが落ち込んでばかりもいられない。我々は初雁公園の死体を乗り越えて進まなければならない。初雁公園の魂を吸収し、これと一体化することでより高みへ到達せねばならないし、それは可能なはずだ。市役所のサイトを見ていたところ、スポーツ振興課の業務内容に「学校開放に関する事務」とあるのを見つけた。もしかして公立学校の鉄棒を使用することができるのではないかと思い、窓口で聞いた。しかし結論から言えばスポーツ振興課はスポーツ団体と学校の間に立ってやりとりをするのが役割であって、個人使用なら学校の教頭先生に直接相談した方がよい、ということらしいのである。これはいいことを聞いた、と思った。ただ、貸してもらおうとする立場からこんなことを言うのも無礼であるが、学校の設備を借りるのは緊急避難的意味が大きい。なぜ私が公園にこだわるのかといえば、それが万人に開かれた存在であるからだ。学校の本来の役割は生徒の学習の場であり教育機関なのであって、この場合は目的外利用と言えるから、許可が必要なのは当たり前なのだが、許可制の使用では公園よりも敷居は高くなる。自分だけでは意味が無い。私の目標は全国民の健康と筋肉量の増大である。だからこその公園なのだ。

懸垂運動時における身体の角度

FIT-04の記事でも少し述べたが、何かに掴まり懸垂によって体を引き上げた時、体は垂直ではなくやや斜めになる。勢いをつけようとして体を前後に揺さぶった結果として傾くのではない。筋肉の収縮のみによって肉体を引き上げた時、人体の構造と重心の関係上、傾くのである。一般的に懸垂とはまず1.棒にぶら下がる→2.肩甲骨を寄せて下げる、ここではまだ肘関節は曲げない→3.結果として上腕骨と身体の間の角度がやや狭くなり1の時点よりも体が傾く→4.ここで初めて肘関節の角度を変化させ、体を引き上げる→5.トップポジションで肘をできる限り後ろに下げ、身体の中央に近づけるよう意識する(これを肘をバックポケットに入れろ、と表現する人もいる)、このような順序をとる。写真を見ると手っ取り早いが、体が垂直ではなく斜めになっているのがわかるだろう。
まず雲梯にぶら下がり

次に肩甲骨を寄せる

そして体を上げる
ぶら下がった時点で胸が反り気味になっている。これは人間の骨格上、上腕骨を垂直に上げることができないためである。自分の全体重を持ち上げる時、全身に力を入れるので体は直線になり、やや傾く。なぜ傾くのか、それは自分の身体の中心よりもやや前を握っているからである。この時前後に何かがあればぶつかってしまうのは当たり前でり、何物にもぶつからずにストレスなく純粋な懸垂ができるのは、現時点ではこの場所この遊具だけなのである。

2019年4月23日火曜日

中村製作所のFIT-04を使用した感想

東田町第二公園にある中村製作所製FIT-04
これは東田町第二公園にある遊具、中村製作所のFIT-04である。公式サイトによると品名はウォールラダーで、この名称から判断すると鉄棒というよりは肋木寄りなのだろうが、最上段が手前に30cmほどずらして取り付けられている。
ぶらさがり、ぶらさがり腹筋、けんすいのピクトグラム
柱に貼られた説明によると用途はぶら下がり、ぶら下がり腹筋、けんすいの三種類。ただし懸垂をするには問題がある。
遊具と向かい合わせにぶら下がったところ

背を向けてぶら下がったところ
 ぶらさがりは正常にできる。遊具に向き合ってぶら下がると最上段以外の横桟が邪魔だが、高さはおよそ2.2mとHM-01の雲梯よりも高く、悪く無いと思う。問題は懸垂である。まずピクトグラムに描かれている通り正面からぶら下がって懸垂しようとすると足が横桟に当たる。足が当たらないように膝関節を曲げ脛を後ろにやっても今度は膝や腿が当たる。公式サイトの製品紹介ページでは遊具を背にして懸垂しているので、その通りに背中を向けて懸垂すると、今度は頭、肩、背中が横桟に当たる。
正面から懸垂すると腿が接触する

背を向けて懸垂。写真では背中が接触している。

つまり懸垂にとって最上段以外の横桟が障害となっているということ。この遊具で懸垂すると肉体的にも心理的にも閉塞感、圧迫感がものすごい。遊具本体に貼られたピクトグラムをよく見ると、ぶらさがり腹筋をしているところでは上から二番目の横桟を握り、背中を遊具に密着させている。こうすることによってぶら下がり時の身体の揺れを防止することは確かにできる。しかし私の経験から言わせて貰えば、ハンギングレッグレイズ時に発生する身体の揺れは、悪いことばかりでは無い。わたしもHM-01の雲梯部でよくハンギングレッグレイズをするが、身体の揺れはチーティングを検出するセンサのようなもので、なるべく体が揺れないようにすることでチーティングを防止できるという利点がある。また上記写真を見ると手前に平行棒があるのがお分かりであろうか。この平行棒を使用し(この平行棒にもまた問題があるのだが、それはいずれ書きたい)、ニーレイズやレッグレイズをすることもできるのである。チーティングや肋木レッグレイズを否定するつもりは決して無いが、この場合は横桟による弊害が大きいので、やはり高高度鉄棒と肋木は別々に設置するべきものであると強く主張したい。このような障害が発生する背景には懸垂に対する無理解があるのではないだろうか。人間が懸垂運動をするとき、人間の体は斜めに傾く。必然、正面や背後に何らかの構造物が存在すれば、懸垂運動の障害になる。この遊具の設計者はどれだけこの遊具で懸垂したのだろうか。スポーツ経験者に使用させたりはしなかったのだろうか。本来は別々の二つの遊具を融合させたことで、本来の使用方に障害が発生し、構造も複雑になるのでは本末転倒である。この公園は新興住宅街の中にあるので、周辺住民の平均年齢は比較的若いはずだ。今からでもFIT-04は肋木専用と割り切り、高高度鉄棒を併設すべきだ。必ず需要はある。

2019年4月22日月曜日

初雁公園の死

マスメディアの報道によりショッキングな事実を知った。初雁公園周辺が大規模な再開発をされるとのことである。私はこの報道を読んだ時、胸がえぐられる思いがした。市内唯一無二の懸垂ポイントであるHM-01も、再開発によって解体され、廃棄されるのではないかとの懸念からだ。私の広背筋と僧帽筋と大円筋とローテーターカフ群を含む背中の筋肉のほとんどは初雁公園のHM-01で作られたと言っても過言では無い。思えば肉体だけでなく意識の奥深くに、生命の危険を感じるほどの真夏の陽の光、雪の中で遊具を握り続けた時の激しい指の痛み、無人の公園内にただ響き渡る雨の音、舞い散る落ち葉、たびたび見かける三毛猫や虎猫、足元を歩く蟻、遊具に飛び散った汗を吸う蝶、鳩や鶺鴒、その他様々な鳥、そしてあの懸垂の苦しみの感覚が渾然一体となり記憶の地層を形成している。遊具をつかむ時私は遊具の一部となり、遊具は私の一部となる。あの公園がなくなるということは、私の肉体と精神が、部分的に切り取られるということに等しい。市役所の窓口に話を聞きに行ったところ、工事はまだ当分先であり、遊具が廃棄されるか移設されるのかは、現時点では決まっていないとのことだった。病名を宣告された患者のような、死刑を宣告された罪人のような、そんな気分になった。人間は死から逃れられないが、同じように公園にも永遠というものはないのだと。進化論から類推すれば、懸垂遊具は絶滅危惧種のようなもので、もし環境さえあれば増殖できるが、現時点では死に絶える定めなのかもしれない。絶滅危惧種が生息する最後の森も再開発の時を迎えているということであろう。時の鐘の声に、諸行無常の響きを感ぜずにはいられない。

なぜ鉄棒が無いのか市役所に聞いた

今月(2019年4月)の初めに市の公園整備課窓口へ行き、公園に関する質問をした。内容は以下の通りである。
  • q 市内の公園に大人がぶら下がれる高さの鉄棒はあるか。
  • a ない。
  • q それはなぜか。
  • a 自治体からの要望が無いからである。要望があれば検討する。
  • q 危険だから作るなという苦情があるからというよりもむしろ作ってくれという要望がないと。
  • a その通りである。鉄棒は子供のものであるというのが一般的な認識としてある。
  • q 初雁公園の遊具(HM-01)も近隣の自治体からの要望によるものか。
  • a 設置の経緯は調べなければわからないが、自治体からの要望とは逆に市から自治体へ打診をし、反対がなければ設置するということもある。
  • q つまりボトムアップ型とトップダウン型があると。
  • a そう。
  • q 例えば私個人が公園に鉄棒を設置しようとした場合、これは可能か。
  • a これも自治体を通す必要がある。
以上のやり取りは私にとって驚愕の内容であった。特に「要望が無いから設置しないが要望があれば設置する」というものや、市と個人の間に自治体という団体が存在し、しかも公園に多大な影響力を及ぼしていることなどである。

2019年4月21日日曜日

樹の枝で懸垂する

もし近くに懸垂に適した枝を持つ樹があれば、樹の枝で懸垂することも選択肢に入ってくる。しなる枝で懸垂するのは人工物と違って独特の感触があり楽しい。また、たとえまだ握力が弱くても、鉄棒に比べて枝は滑りにくいのでしっかりつかまることができる。ただし冬でもなければ枝に虫がいることがあるので、注意深く確認しなければならない。無益な殺生は避けたいところだ。
川越運動公園にある樹。いい形をしている。

やや低いが使いやすい

岸町健康ふれあい広場の樹。ほぼ水平に近い。

かなりいい

水平でなくてもY字型の枝があれば使える。

これもやや低い

ニュートラルグリップに近い